2007年05月03日
ワインセラー
我が家に二台目のセラーが届きました。
ワインがいっぱいになって、押入れにしまっていたのですが、
さすがにワインが可哀想で二台目のセラーを購入しました。
これでワインちゃんもゆっくり眠れると思います。
そもそも私がワインを集めるようになったのは、27才の頃です…
当時私は経営していたパブを閉め兄の店゛錦雅”(きんか)に厨房見習いとして入りました。
私自身のパブも商売と呼ぶにはあまりにもいいかげんで、まさに悪の巣窟(怖い…)
毎日錦で飲んでは12時過ぎに店に顔を出し、飲む打つの自堕落な生活。
先を考えたときに兄からの誘いで、二軒とも閉め゛肉”の世界へ、
お店をやっていたとは言え、包丁など握ったこともありません。
当時のそのお店のチーフにいちから教えていただきました。
覚えていくうちに、楽しくすっかりのめりこんでいきました。
まさに ゛肉” に魅せられた感じです。
そのお店によくご来店してくださる一組のご夫婦がいらっしゃいました。
男性は当時50代、若くして事業で成功なさり50を境にセミリタイアをしておりました。
1年365日外食の午前中は奥様と毎日二人でゴルフとまさに悠々自適、
私はそのご夫婦にとても可愛がって頂きました。
年の離れた弟だと、息子のような私を決して子ども扱いせず、
常に同じ男として接してくれました。
私は、その方にそれこそ3年間毎週のように色んな所へ連れて行ってもらいました。
今思えば、子供のいないお二人には、時にそう映っていたのかもしれません…
フレンチ、寿司、イタリアン、中華、料亭、ふぐ、ステーキ等々…
何でも高級志向のこの方はどこの店でもまさにVIP。
当時の私の給料では一軒払ったら、翌日からカップヌードルです。
3年間で私が払ったのはただの一回もありませんでした…
本当に色んな事を教わりました、
名古屋にも芸者さんがいて、三味線弾いての芸子遊びに始まり、
食べたこと無いものの食べ方、テーブルマナー、料亭の作法等、書ききれません…
あれは、私の28の誕生日の出来事でした…
゛せっかく、誕生日だからお洒落して出ておいで、”
と、いつもの優しい口調で電話が。
待ち合わせは、ヒルトンホテルのフレンチ。
いつもこの方は、何人であれ一番大きい個室しか使いません。
大きなお部屋に部屋付きが各一人、後ろに付いてくれます。
゛いつにも増して、緊張するなぁ…”
シャンパンを飲み終えた頃、あらかじめ用意させておいたワインがテーブルへ、
私の生まれ年、67年のムートンでした。
彼がそそがれたワインをテイスティングした、その時でした…
”ん?ちょっと違うなぁ、味が…”
部屋中、空気が変わりました…
そして、彼がこう言いました、
゛ワイン変えてください”
全員
゛え…”
びっくりです…
すると、ソムリエがすかさず味見をし、こう言いました、
゛古いワインなので、味のほうはこなれてまいりますし、交換までは…”と。
すると、彼はいつものように優しい口調で、
゛こんな、言い方は君に失礼かもしれないけど…”と言い、こう続けました
゛悪いけど、君の年で、君の稼ぎでひんぱんに飲めるワインじゃない、
私のほうがこのワインに関しては君の何倍も飲んでいるよ、
その私が変えろと言うんだから、変えようよ”と…
騒然として、部屋付き3人が出て行きました、
私は、今思えば無神経にも彼にこう聞きました、
゛あのぅ、こう言う場合あのワインて値段に付くんですか?”って、
彼は、いつものように笑いながら、
゛値段じゃないんだよ、納得して食事がしたいんだよ、
自分の味覚を信じてるから”
自分の味覚を信じる…自分の味覚を信じる…自分の味覚を信じる…
頭にこびりついて離れませんでした…
ワインが届きました、
当然同じのはありません。
皆、ドキドキのテイスティングです。
彼が言いました、
゛よし、旨い”って。
すごい緊張感から開放されて、皆ホッとしていました。
帰りの際、レストラン中の人間が見送りにきました。
彼は一人一人に゛美味しかったよ”と声をかけていました。
そんな、すごい彼に値段ついてました?とは、さすがに聞けませんでした…
そこから、彼の名古屋の別宅へと呼ばれました。
何年間で初めて招いたゲストが私だと言います。
゛え?僕なんかでいいんすか?”と私。
彼はまたまた優しく、
゛僕なんかがいいんだよ”
そしてワインと、奥様お手製のツナサンドをいただきました。
そこで、はじめてお互いのことを深く話をしました。
彼は若い時分、いわゆるマフィアだったと言う事、
20代でそれはそれは壮絶な抜け方をし、(ここではとても書けません…)
30代で事業に専念。おもしろいように儲かったと言う事、
40代にはすでに貸しビルだけで、全国に30以上あったそうです。
そして目標通り50才にしてリタイア。
今は奥さん孝行の毎日だと。
私も自分のことを一生懸命に話しました。
帰りにお土産でワインを二本持たせてくれました。
何か、お返しをと思い出入りの酒屋さんにワインの値段を調べてもらいました。
すると、高い高い、
そうです、それが88のムートンとラ・トゥールだったんです。
高すぎる… でもなんかお返ししなければ…
私は
゛そうだ!寿司が好きだからお寿司をご馳走しよう”と思いました。
しかし、彼と行く寿司屋は当時の私にはとんでもない値段です。
あらかじめ、寿司屋の大将に訳を言って値段を交渉しておきました(それでもきつい…)
そして3人で寿司屋へ、
いつものようにつまみを食べ、日本酒を飲むと彼がこう言いました。
゛もし、寿司をご馳走しようと思っていたら、私は怒るよ”
お見通しでした…
そして、こう言いました
゛僕は君に自分を見ているんだよ、もっともっと出世したらご馳走になるよ”と。
そして、最後にこう言ってくれました
゛君ならできる、人の何倍もがんばれ!”と。
カウンターで涙でぐしゃぐしゃで、寿司食べました…
あれから、月に一本買えない月も沢山あったけど、ワインを集めるようになりました。
思い出のムートンのラベルを楽しみに、
10年以上だからずいぶんたまりました。
だから二台目のセラーです。
今でもムートン、ラ・トゥールを飲むと彼を思い出します。
こんな人になりたいと心から思ったし、すごい影響も受けたし…
50にはまだ少しあるけど、ほんの少しでも近づけたらなぁ…
永ちゃんじゃないけど、
30代頑張らないやつは40代のパスポートもらえないって…
まだまだ、まだまだまだ、まだまだまだまだだー!
教訓
酒と唄には思い出がある
田中昇在
投稿者 shoya-admin| 2007.05.03|コメント(1)
コメント
このお話に感動しました(っω;`。)うるうる・・・
゛君ならできる、人の何倍もがんばれ!”
この一言、本当に心にずっしり来ます。つい最近、父に同じような言葉を言われたことを思い出しました。
父の期待が大きく、今まで、その言葉が、自分にとってのプレッシャーでしかありませんでしたが、きっと、同じような思いを持っていてくれるのだと思います。
もうすぐ50歳で同じようにリタイアしようとしている父ですが、もう少し強くなり、がんばっていこうと思います。
投稿者 aya|2007年05月04日 15:09
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