2008年03月15日
吉野家
少し前の新聞に載っていました。
銀行で目にした新聞にこんな記事が…
゛あの牛丼の吉野家が終日牛丼販売を復活”
この8月を目処に約4年ぶりの復活を目指すそうです。
思い起こせば、ある意味 私達焼肉業界よりも大変だったと思います。
゛BSE問題”
米国の牛肉が全面輸入禁止になった時のトップの経営判断、
まさに搾り出すように出した苦渋、断腸の思いの決断であったと思います。
想像するだけでも、その大変さ、その重さ、
胸がいっぱいになります…
牛丼専門店における牛丼の販売中止、
それがどれだけの事か…
他の会社はこぞって中国産や豪州産の肉を調達し、ここぞとばかりに牛丼を提供しました。
今こそ、吉野家を倒すチャンスだとばかりに…
そんな状況でも、業界トップである吉野家は国産と米国産以外の肉では、
自分たちの味は出せない、と牛丼販売を再開させることはありませんでした、
あくなき味へのこだわり、のれんの重さ、
業界トップの吉野家のプライドがそうさせたのだと思います。
その間、全国の何千と言う店舗で、牛丼以外の商品のラインアップを増やし、
深夜営業を取りやめ…
とてつもなく、会社が、お店が、揺らいだことだと思います。
全国の吉野家には深夜のパートさんだけでも一体何人いることでしょう…
そういった雇用含め、全てのオペレーションが…
本当に大変だった、いや、大変なんて言葉では足りない位であったと思います。
私達も規模こそ違えど、同じような経験があります。
今からはもう6年ほど前になるでしょうか、
ずーっと忘れられない出来事です…
日本中が大騒動になった ゛BSE問題”
私達のお店も他ではありませんでした、
その年の9月までは普通だったのですが10月になるとお客様がバタッと…
月間の半分のお客様です…
常連様には励まされる日々、
゛昇家は大丈夫だよ、がんばって!”
人の温かさは苦しいとき程、染みるもんですね、
何回レジにしゃがんで、泪したことか…
そして私達も、掛け持ちでやってくれていたパートナーの子達から解雇していきました、
皆、理解してくれていました、
昇家が好きだから、この騒ぎが落ち着いたら戻って来たいです、と言われまた泪です、
つらかった…
その当時、沢山の焼肉屋さんが廃業、業種変更、メニュー変更していきました、
中には焼き鳥屋さんになった焼肉屋もありました、
そのとき私達が出した結論は、
゛今まで通り、何も変わらず”
でした…
自分たちは正しい事をやってきた、
だから、それは何があってもこれからも変わらないんだ!
そう皆に言い続けました。
先の見えない毎日でした、
何も変わらない、と言う事は何も変えない、と言うことです。
まるで、見えない相手との我慢比べのような、チキンレースのような毎日でした。
出口の全く見えない迷路に入り込んでしまいました…
それは私達だけではなく、日本中の焼肉屋さんが…
私達は信じられる仲間と、自分たちの信じる道を 暗闇の中手探りで、
声をかけあいながら、手をつなぎながら、歩き続けました、
時に振り返って自分たちの足跡を確認しながら…
そうして皆で歩いて、やっとうっすらと光が見えた時、
本当に嬉しかった、本当に、本当に嬉しかった、
自分たちの歩いた道、信じた道があってたんだ、と思えた、
信ずれば叶う、と思えた…
私達のような和牛を扱うお店でも、
当時は 肉 = 全部ダメ、と言う世の風潮でしたから…
同じ苦しみを経験したぶんだけ、
吉野家の記事には感じるところ、多かったです。
今、吉野家はまた元の状態に戻りつつあるそうです。
あの時をチャンスとばかりにとらえた他社のが苦戦しているそうです。
勝負に勝ったのはどっちだ! って感じです。
いつ、どんなときもタフな会社、タフな自分でいなきゃ、と吉野家の記事に学びました。
とは言え、昨日も本部で短気おこして…
怒ったらお茶がとんで、買ったばっかりのスエードのブルゾンがパー、
自分でやったこととは言え、代償が…
まさに短気は損気…
どこかに短気を治す薬売ってないかな…
教訓
信じるとは、信じきる事、ぶれない事
田中昇在
投稿者 shoya-admin | 2008.03.15|コメント(0)
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