創業時の情熱が今も昇家を動かしている。

どん底からのスタートだった。

創業は1998年5月。30歳の時だった。
その直前の3年ほどは、ある高級焼肉店で働いた。
高級店だから、限られたお客様しか来られない。
焼肉といえば外食の王様のはずなのに、利用できるのは社用族ばかり。
高級店だけに、お肉の質はよい。しかしサービスは十分とは思えなかった。
もっとさまざまな人に来ていただきたい。
女性同士、ご家族連れ、仕事帰りの若者、恋人たち――
すべてのお客様に、心から楽しんでいただきたい。
「もっとこうしたい!」という思いは次第に高まっていった。
焼肉店とは思えないお酒落な内装。豊富なメニュー。気の利いたサービス。
自分の思い描くお店は、当時の名古屋には存在しなかった。
夢は膨らむ一方だったが、開業資金などあるはずもない。 日々の仕事に追われるしかなかった。
ある日、社長と意見がぶつかった。その果てに、退職を迫られた。 翌日からは無職。
仕事もお金も何もなかった。 残ったものは、こんな焼肉店をつくりたい!という情熱だけ。
30歳。どん底からのスタートだった。

情熱のあるところに奇跡は起きる。

開業しようにも、経営の三大資源、「人」「物」「金」のひとつも持っていなかった。
それでも、ただひとつ残った情熱に従って動き始めた。
何もなくても、自分で立ちあがることしか考えていなかった。
絶対に見返してやる! そう思っていた。 そんな時、一軒の古い民家と出会った。
何十年も使われていなさそうな、さびれはてたその家が、 何も持たない自分と重なって見えた。
不動産業の友人の力を借りて持ち主を捜し当て、会いに行った。
電話では失礼だし、思いを伝えられないと思ったのだ。
「こんなに遠くまで来てくれたのだから、話だけは聞くよ」と、会ってくれた。
必死になって、思いのたけを伝えた。本当に、必死になって。
「みんなが集まる、こんな焼肉店をつくりたいのです。
使っていないのなら、私を信じて貸していただけませんか」
お願いしながら、涙が出て止まらなかった。
すると奇跡が起きた。
「誰にも貸すつもりはなかった。でも、貸すよ。あなただから。
こんなに遠くまで来てくれて、涙まで流して。あなた、必死だから」
思いが届いた。うれしかった。
しかし、お話しすべきことはもうひとつある。
意を決して切り出した。
「家賃は、毎月働いて必ずお支払いします。
ただ、今の私にはまとまったお金がありません。
どうか保証金を分割払いに、もしくは、半年間待っていただけませんか」
あきれ顔の家主さん。
ああ、いよいよダメか。 そりゃそうだ。こんなお願い、都合がよすぎる。
諦めかけたその時だった。
「もうわかった、どちらでもかまわない。あなたには負けたよ」
情熱がまた奇跡を起こしてくれた。

大切な友人を迎える家のように。

それは奇跡的な第一歩だったが、 これからも二つめ三つめの奇跡を起こしていかなくては。
まずは、民家の改装。何度も言うが、お金はない。
先輩の建築屋さんになんとか後払いで、とお願いし、 了承していただいた。
気がつけば、応援してくれる人がいた。 奇跡的に出会えた方々に、絶対に恩返しがしたい。
お店のペンキも職人さんに交じって塗った。
大したことはできなかったが、一緒になってつくり上げた。
そんな宝物のようなお店を、「昇家」と名づけた。
自分の名前、昇在の一文字を採った。 昇家は、昇在の家。
すべてのお客様を、自分の家に招くように、迎えられるお店。
すべてのお客様が、友人の家を訪ねるように、気軽に来ていただける店。
そんなお店でありたい。
たくさんの奇跡、たくさんの恩とともに
昇家は、名古屋市東区泉一丁目で、小さな産声をあげた。

株式会社ショウエイ 代表取締役
昇家オーナー 田中昇在